牧師室より


平和のために
日本の8月

 8月は日本にとって特別な月である。広島(6日)、長崎(9日)に原爆が投下され月であり、戦争に敗れ、終戦(15日)を覚える月である。平和を願う思いは同じでも、その表し方は人によって異なる。例えば靖国神社である。今年の15日は特に重要な日となることであろう。小泉首相の靖国神社参拝が予想されているからである。私個人は反対であるが、しかし小泉首相は「不戦の誓いをするために靖国神社を参拝するのだ」と譲らない。小泉首相の平和への思いは私も疑わない。ただ彼の行動は支持できない。平和への思いは同じでも、その表現が人によって異なる象徴的な例である。
 そのような中、昭和天皇の発言を記録したメモが見つかり(正確に言えば、そのようなメモの存在は以前から知られていたのであろうが、それを日経新聞社がこの時期に公表したのである。ただ、なぜこの時期なのか、私のような市井の者は知る由もない)、今話題となっている。A級戦犯の合祀の問題である。天皇家の平和を願う表現でさえも、小泉首相とは随分とかけ離れていることが明瞭になっただけでも、実に意義のある公表であったと思う。



日本の国で平和を考える

 政治家の行動は別として、私たち市井の者にとっての8月はどんな意味があるのだろうか。まず、平和への祈りを絶やさないようにしようと思う。そして戦争の現実から逃げることなく、直視しなければならない。
 戦争はゲームのように楽しむものではなく、痛みと悲しみを伴うものである。生命を傷つけられ、財産や尊厳までも奪われるものである。怒りと憎しみの連鎖は留まるところがない。それが戦争の現実である。そのような過酷な現実を直視することは辛い。
 戦争の現実と言っても、日本の国に暮らす者は、無論本当の意味での現実を見ることはできない。過去の歴史は体験者以外は本当のことを知らないし、またイラクや中東諸国などでいまなお絶えない戦渦を、平和な日本にいる限り本当のことは分からない。この限界を当然認識しなければならない。しかしながら、この日本の国でできることがある。戦争の悲しい現実を伝えている人たちの声に耳を傾け、それを無視しないということではなかろうか。



戦争の悲しい現実
 原爆の絵を展示した美術館が埼玉県東松山市にある。丸木美術館である。故丸木位里・俊ご夫妻が描き続けた広島の原爆の絵が展示してある(http://www.aya.or.jp/~marukimsn/)。これほど心が激しく揺さぶられる絵も少ない。中でも「カラス」と題された絵は衝撃である。原爆で命を奪われた人たちの死体を、カラスがくちばしで突くのである。原爆によって虫けらのように生命を奪われた人たちは、死んだ後も目の球をカラスにくり抜かれるほどに、からだを弄ばれるのである。何と痛ましいことか。でもそれが戦争の現実である。
 「からす」はそれだけではない。弄ばれた死体の多くは、朝鮮人たちであったことを告げている。被災した日本人は比較的早く埋葬されたのであるが、しかし朝鮮人たちの遺体を引き取る人はいなかったのである。無理もない。自分たちのことで精一杯だったのだから。今日の私たちが、限界状況にあった人たちの行動を責めることはできない。ただ、これも戦争の現実である。何と悲しく、何と痛ましいことかと思う。
 そして丸木美術館を訪れた者は、きっとこう心に刻むに違いない。戦争の現実、痛ましい現実から決して目をそらしてはいけないし、平和のために自分にできる何かをしなければならないと。

2006年7月27日

 「京都探索:細川ガラシャの墓」


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