牧師室より


風穴を空ける風・聖霊
聖霊の風

 聖書に聖霊という言葉が出てくる。教会はその聖霊をいま祝っている。神様の霊と言い換えてもよい。この聖霊はもう一つの言葉に訳せる言葉である。風である。聖霊は他に息、空気という言葉にも訳せる言葉である。
 聖霊降臨した出来事を「激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえた」(使徒言行録2:1〜)、と聖書は記している。激しい風は日々の生活に被害を与えることもあるが、聖霊の風はそうではない。恵みをもたらす。例えば、「風穴を空ける」という言葉がある。行き詰った状況を打破するために、一つの突破口を開く。そのようなときに「風穴を空ける」という言葉を使う。聖霊の働きもこれと似ている。



行き詰まるとき

 私たちは日々の生活で行き詰ることがある。職場において、学校でも、家庭でも行き詰まることがある。仕事がうまく行かず、人間関係にも途方に暮れることもある。病気になり、親しい者を失い、気が塞ぐこともあろう。教会生活において、あるいは信仰に行き詰ることさえある。そのようなときに、人間は自分の無力さを痛感するものである。自分自身の力で、行き詰まりを突破できないからである。
 聖書をよく読むと、そこに登場する人々の多くが、何らかの行き詰まりを感じていた人たちであったことに気づく。例えば、多くの者たちが病気や障がいに苦しんでいた。今日も同じであるが、しかしイエスの時代には病院はなく、薬も乏しかった。だから行き詰まり、イエスに助けを求めたのであろう。



聖霊の助けを祈ろう
 行き詰まりは自分で突破するしかない。無論、他者の助けを借りて打破できることもあろう。しかし、人間の力ではどうすることもできない行き詰まりがある。そのときにどうすれば良いのか。
 聖書を開き、イエスの教えと生き方に学ぼう。実は、イエスご自身が行き詰まった方であったからである。十字架を前にして、イエスも行き詰まった。そのときイエスは何をされたであろうか。そう、神に祈られたのではなかろうか。神に助けを求め、そこからもう一度立ち上がる力を与えられたことが書いてある。私たちも同じである。イエスの生き方に学び、神に祈り、神の霊・聖霊が助けてくださるようにと祈ろう。
 池袋教会にキリスト教を伝えたフィンランドの宣教師たちも、しばしば行き詰まったのであった。池袋に先立つ2年前、1905年に諏訪の地で宣教を始めようとしたとき、住む家を提供する者はどこにもいなかったという。若き2人の婦人宣教師たちは、熱心に神に助けを願ったに違いない。そして与えられた家は、幽霊が出ると噂のあった一軒家であった。他に誰も借り手がいなかったのである。幽霊、そんなものはいない。が、神の霊はある。その家は、神の息吹が吹き入れられ、神の霊が宿る祝福の家だったのである。ここから、行き詰まった宣教の風穴が空いたのである。神のなさることはまことに不思議で、何と素晴らしいことか。

2006年6月19日

 「教会の五月」


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