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私たちは日々の生活で行き詰ることがある。職場において、学校でも、家庭でも行き詰まることがある。仕事がうまく行かず、人間関係にも途方に暮れることもある。病気になり、親しい者を失い、気が塞ぐこともあろう。教会生活において、あるいは信仰に行き詰ることさえある。そのようなときに、人間は自分の無力さを痛感するものである。自分自身の力で、行き詰まりを突破できないからである。
聖書をよく読むと、そこに登場する人々の多くが、何らかの行き詰まりを感じていた人たちであったことに気づく。例えば、多くの者たちが病気や障がいに苦しんでいた。今日も同じであるが、しかしイエスの時代には病院はなく、薬も乏しかった。だから行き詰まり、イエスに助けを求めたのであろう。
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