牧師室より


乱世の時代にあっても
京都「瑞峯院」にて

 昨秋全国の牧師の会合が京都で開催された。会議漬けの三日間であったが、帰路に付く前の時間を利用して、かねてから訪ねてみたいと思っていた寺に向かった。北区紫野にある瑞峯院(ずいほういん)である。この寺はキリシタン大名の大友宗麟の菩提寺となっている。ここに向かった理由を語る前に、大友宗麟なる人物についての解説が少しばかり必要かも知れない。
 大友宗麟(1530−1587)は、豊前・豊後(現在の大分)の領主であった。武将としての能力はさほどなかったのかも知れない。そのことが、却って戦国の時代に翻弄された哀しい男の姿を演出しているようにも思える。すなわち、NHKの大河ドラマに登場するような信長や秀吉、あるいは家康といった天性の武将の才を持った男たちではなく、戦うことに迷い、武将としてはいささか気弱な男の印象がある。



「無鹿」という町
 作家の遠藤周作が『無鹿』という短編で、大友宗麟を見事に描いている。無鹿とは、宮崎県の延岡に近いところにある地名だそうだ。私自身も宮崎県で幼少から高校まで過ごしたが、無鹿なる地名を耳にしたことはなかった。それほど知られていない小さな町、それが無鹿である。無鹿と書いて「むしか」と読む。いや「ムジカ」とカタカナで書いた方が、むしろ相応しいのであろう。というのは、ムジカとはラテン語で「音楽」を意味する言葉だからである。英語のミュージックは、このムジカに由来する言葉であることは想像するに難くない。
 なぜ無鹿なのか。戦火に明け暮れる日を過ごす宗麟は、豊後で教会を建設していた宣教師たちから、西洋の音楽を初めて耳にする。ヴィオラの演奏と歌声であった。演奏したのは、修道士たちから1年前から習い始めたばかりの子どもたちであったらしい。今日の演奏会に較べれば、どれほどのレベルであったかは想像できる。しかし、いつの時代もそうであるように、邪気のない子どもたちの演奏と歌声は、どんな優れた大人の演奏者にも勝るものがある。きっと宗麟もそれを感じ取ったのであろう。
 遠藤周作はその時の宗麟の心情を、「はじめて耳にした西洋音楽の美しさは宗麟の胸底にしみ通ったらしい。彼はこの時、ムジカなる言葉を憶え、それをいつまでも忘れなかった」と認めている。この時から宗麟は、ムジカを初めて聞いたその地を「無鹿」と呼ぶこととし、この地を、余生を送る理想の地とすることを夢見ていたのだという。
 しかしながら、その夢は果たされることはなかった。宗麟に武将としての運も才覚もなかったからである。結局、無鹿を終の住みかとすることはできず、鹿児島の島津の前に、無様な敗走を強いられてゆく。48歳の時のことであった。宗麟が洗礼を決断したのは、その1年後のようである。キリシタンたちに出会ったのは22歳のときであり、それ以降宣教師たちを厚遇したのであったが、しかし洗礼を受けたのは意外に遅かったのである。敗走が決断の契機になったことは間違いない。


十字架に破れた方
 さて、瑞峯院の話しに戻ろう。この菩提寺は京都の寺の中では、実にこじんまりとしている。訪れる観光客もまばらであった。ここには二つの小さな石庭がある。私がぜひ見たいと思っていた庭は、裏庭にある小さい方であった。7個の石組みがあり、縦に4つ、横に3つが置かれている。それは十字架の形をしていた。ただその十字架の石庭は新しく、1961年(昭和36)に造られたものと知った。
 大友宗麟の生きた時代を、乱世と呼ぶことがある。しかしこの言葉は、戦国の時代だけの特別な用語であろうか。私にはそうは思えない。今日もやはり「乱世」ではないだろうか。もちろん戦国の時代とはあらゆる面で異なっている。しかし、どんな大企業も10年後も存続している保障はなく、自分のデスクがある保障もどこにもない。熾烈な戦いを強いられる、戦国時代ならぬ下克上である。老後の年金の保障も危うく、国が破産するのではないかとさえ、まことしやかに囁かれる。『国家の品格』という本が爆発的に売れるほどに、「品格」という言葉は実体を失い、倫理なる言葉も力を失っている。これまでの常識や決まりごとが大きく揺り動かされ、乱れている。これも「乱世」である。
 乱世の時代に生きた大友宗麟。それは私たちの姿でもある。乱世の時代には、人は、時代の大きな流れや人々の争いのうねりに翻弄されずに生きることは難しい。そこでいかに生きるのか。宗麟は無鹿に夢を託し、その夢は破れた。私たちのささやかな夢も、同じように破れることがあろう。
 でも大事なことを忘れてはいけない。イエスも乱世の時代に生き、十字架の上で破れたのである。しかし、その十字架で終わることはなかった。復活したのである。夢破れることがあったとしても、神に嘆き、神に祈ること忘れず、神の眼差しはいつも向けられていること信じる者は、足下に希望があり、不思議な喜びがあることに気づくのである。それが復活であることを私たちは心に刻みたいと思う。

2006年3月27日

 「京都・瑞峯院の十字架の石庭」


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