牧師室より


エゴイズム
2006年1月17日

 新年を迎え、すでに2週間余りが過ぎた。今日1月17日、目まぐるしいほどの話題に満ちている。慌しい現代に生きる私たちの象徴的な一日なのかも知れない。
 11年前のこの日の早朝、阪神・淡路地区を巨大地震が襲った。何千人にも方々が犠牲となられた。10年余が過ぎても遺族の方々の悲しみは深い。17年前には、幼い子供たちの命を奪う猟奇事件の始まりとも言える衝撃的な事件が起こったが、被告の刑が今日の最高裁の判決で確定した。死刑である。極刑の背景の一つに遺族の心情があったことを想像するが、最も重い刑が確定したとしても、遺族の心の傷は癒えることはない。人間の裁きはすべてを解決しないことを改めて覚える。



エゴイズム
 今日人々が注目しているのは、むしろ二つの話題である。耐震強度偽装に関する証人喚問と急成長するインターネット関連企業に関する証券取引違法の問題である。特に証券問題などは素人の自分にはよく分からないことであるが、不正とお金に関する容疑であることは分かる。そう考えるならば、今日日本中が騒いでいる事件は、表面的には現代社会特有の問題のように思えるが、しかしそれは上辺の見方であろう。
 根っこにはいつの時代も変わらない人間の強欲があり、エゴイズムが見え隠れする。エゴイズムの「エゴ」はギリシャ語から来た言葉で、「わたし」という意味を持つ。ここから「わたしの考え」、「わたしの利益」、「わたしの幸い」とばかりに、わたし中心を押し通すことをエゴイズムと呼ぶことになった。


エゴイズムからの脱出
 「地球が太陽の周りを回っている」と知っていても、私たちの目には地球の周りを太陽が回っているようにしか見えない。これが私たちの偽りのない現実ではなかろうか。誰かが本当のことを教えてくれない限り、人間は自分中心にものごとを見ていることに気づくことをしない。
 人間の生き方もこれと同じではなかろうか。善悪の基準が揺らぎ、古来の道徳感や価値観が通用しなくなった時代と言われている。かと言って、自分で判断できるほどの慧眼は養われていない。何の確信も根拠もなく、ただ自分勝手に生きなければならない。それが今日であり、現代の病ではなかろうか。
 イエスは拝金をそそのかす悪魔の誘惑に合われたときに、こう言われた。「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つひとつの言葉で生きるものである」と。エゴイズムから脱出するために、神の言葉(聖書)に耳を傾けることへの奨めである。神の言葉と共に歩む一年を始めたいと思う。

2006年1月17日

 「牧師館からの窓から」


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