牧師室より


恵みの雨
なぜ雨が降るの?
 ぐずついた天気が続くようになった。梅雨の走りであろう。教会学校のさんびかに、雨に因んだこういう歌がある。
ぱらぱらおちる 雨よ雨よ
ぱらぱらぱらと なぜおちる
かわいた土を やわらかにして
きれいな花を さかすため
 「なぜ雨が降るのか?」と問うことは私たちの日常生活ではない。雨といえば、日々の天気予報を気にしながら、傘の心配や洗濯物の乾き具合を案じるくらいであろう。でも雨はなぜ降るのだろうか? さんびかは教えている。「かわいた土を潤し、種から芽を出させ、育て、そして美しい花を咲かすためなんだよ」と。確かに、私たちが毎日口にする野菜や果物も雨なしには育たない。部屋に飾られた花も育つことはない。いや私たち自身が、雨なしには水を飲むことも出来ない。このことを私たちはつい忘れてしまっている。子供のさんびかがそれを教えてくれている。


乾いた心を潤すために
 「かわいた土」、これは私たちの心のことも指してはいないだろうか。乾いた心からは潤いのある言葉は出てこない。人を傷つけ、他者の悲しみに無関心になり、自分にも喜びと希望を見出すことができない。それは乾いた心から出て来るものではなかろうか。
 乾いた心を潤していただくために、私たちは恵みの雨を神様から注いでいただくしかない。それは聖書の言葉であり、イエスの教えである。その言葉が心に注がれるときに、私たちの心は潤いを取り戻し、瑞々しさを回復するのであろう。
 教会の玄関にある花は、毎日のように水を注がなければ土は乾き、葉も花びらもしぼんでしまう。私たちの心もそうである。日々恵みの雨である聖書の言葉をいただかなければ、乾いてしまう。
 教会の扉がこのことのために開かれ、日曜日の礼拝や週日の聖書会が、心に恵みの雨をいただくためのよき時となればと願っている。

2004年5月14日

 教会の花(たんぽぽ)


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