教会の庭に木の葉が舞う。春は椎の木や木犀の葉が落ち、秋には桜や芙蓉の葉が色づき落ちる。これからも少なくとも一日に二回は掃かなければならない。秋は果実をもたらす実りのときであるが、葉っぱにとっては自分の役目が終わったことを告げられるときである。つまり短い生涯を閉じるときとなる。
落葉した葉っぱは、どれ一つとして同じものはない。色づき方、大きさのすべてが異なっている。そして葉の多くが虫に喰われたような穴が空いている。これまたそれぞれ異なった形であることに気づく。人間と同じように、それぞれが異なった傷を負いながらも、精一杯生きてきたのであろう。
私たちは店頭に並べられた野菜や果物を毎日眺めることで、もしかすると錯覚に陥っているのかも知れない。虫食いのない綺麗な葉っぱや果実、まっすぐに伸びた大根や人参が自然であると。しかし本当の自然は、庭に落ちた葉っぱの姿にこそあるのではないかと思う。きっと人間も欠けや傷を持つことが自然であり、それを引き受けながら精一杯生きることが大切なのであろう。 |